北海道さんぽ

札幌護国神社で歴史に思いを・・・

高校卒業直前までしか札幌に住んでいなかったオイラ。
(しかもその内4年間は、沖縄に住んでいた)

なので、札幌にいたのは正味14年。今や東京暮らし (17年) の方が長くなってしまいました。

しかも子供や学生のころの機動力なんて、ほんと微々たるもので…。札幌市内も行ったことがないところがほとんどじゃないかしら。聞いたことある地名でも、それが市内のどの辺に存在するのか、位置関係が全然わからないことが多いです。

ってことで、札幌滞在最終日前日。 (←漢字多すぎ)

相方が見たいという熱帯魚屋さん (ヲイ) を見た後、近くに中島公園があったのでお散歩がてら向かってみました。

その途中で遭遇した神社。神社を見るとどうしてもお参りに行きたくなるオイラたち。

札幌護国神社というところでした。
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雪深い・・・。

この神社には、さまざまな殉教者たちが眠っておられます。(合祀されてるのかな)

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こちらは、歩兵第二十六聯隊軍旗奉焼之碑。

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沖縄戦戦没者慰霊の碑。

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WEBで調べてみたところ、沖縄戦でなくなった方は20万人以上。そのうち北海道出身の戦没者は、沖縄県民の約12万人に次いで2番目に多かったのだそうです (1万5千人)。

この慰霊碑、もともと「記念碑」として藻岩山ロープウェイの山麓駅そばにあったのだそうです。ただ、遺族が高齢化し参拝が難しくなってきたことを受け、今の札幌護国神社内に移されたんだそう。でも、この時反対派もいて、結構激しい対立があった様です。

雪に隠れてますが、こちらは北千島慰霊之碑。
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この石碑、5トンもの重さがあるのだそうです。げげげ。

この慰霊碑は、シベリアに抑留され過酷な環境のもと強制労働を強いられ、命を落とした兵士の御霊を祭るものだそうです。戦争終了後、北千島に残された日本軍。そこへソ連軍が奇襲を仕掛けてきました。激しい戦いの末、日本軍がソ連に壊滅的なダメージを与えますが、停戦協定が結ばれ武装解除しなければならなくなります。そして彼らを待っていたのが、シベリアでの抑留。

ほんとソ連ひどい。あいつら・・・

こちらは、屯田兵招魂碑。
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これは、西南戦争で亡くなった屯田兵を祭ったもの。

てか、西南戦争に屯田兵が参加していたなんて!知らなったYO!
こちらのWEBページに、屯田兵の動きを詳細に書いた西南戦争の年表がありました。面白い・・・・。

次はノモンハン英魂之碑。
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これは、ノモンハン事件で命を落とされた約1500名の戦没者を祭った碑。 

ノモンハン事件については、Wikipedia を見ていただくとして (ヲイ)、これもソ連がらみ。くぅ。

そして最後は、アッツ島玉砕雄魂之碑。(あ、慰霊碑自体はまだ他にもありました)
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アッツ島とは一体どこなんだと思って調べてみたところ、アリューシャン列島(アメリカ)の西の端にある島でした。第二次世界大戦中、アメリカ軍と日本軍が激戦を行い、日本軍が玉砕したところなのだそうです。

アメリカが建国されて以来、領土を他国に占領されたのは、このアッツ島と隣にあるキスカ島だけなんですって!知らなかった。

日本軍はこのアッツ島で全滅したのだそうです・・・。

こんな札幌護国神社。
濃かった・・・・。

雪が解けたら、もう一度来たいなぁ~。

ってことで、帰りは中島公園内を北上。
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雪深すぎる・・・・笑

そして公園を抜けてすすきの方面へ。途中、川が凍っていました!
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こんな札幌 (どんな?)。引っ越して来たら、もっといろんなところに行ってみたいと思います☆


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