日本史さんぽ 鹿児島さんぽ

神になった薩摩義士

22日は、朝からいいお天気でした。
8時に起床し、朝食バイキングでモリモリ食べ、カメラを持って観光に行ってきたですよ~。

まずはホテルの近くから、路面電車 (市電) に乗りました。
鹿児島の路面電車は、線路一面に芝生が敷き詰められてて、なんかきれいなの!
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運賃は一律160円。

でも、いろいろ移動する人には一日乗車券がお勧めかも☆
市電、市バス、シティービューという市内循環観光バスに乗り放題で、1日600円です。入場料がかかる施設の割引もついてるので、うまく利用すれば小銭をセーブできますです~。

ってことで、オイラたちは1日乗車券を購入しました。
朝日通で電車を降りて、歩くこと約5分。

西郷さんがででーんといらっしゃいました。
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相変わらず、頭がデカイ・・・・・
(上野公園でもそう思ったのよ・・・・その時の日記はこちら)

でも上野の西郷さんより、ちょっと威厳がある感じがしますの~。

てか、暑い暑い暑い~!!!

日差しも強いし、湿度も高いし、汗が滴る!!
ブツブツ言いながら、炎天下を歩くオイラたち。
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そして皇居にかかる橋のようなものを渡って・・・・
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鶴丸城跡 (鹿児島城) にある、黎明館に行ってきました。島津さんが住んでた城ですよ、奥さん。
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ここには、鹿児島の歴史に関する資料館があります。
(決して涼みに来たわけではありませんww)

ちなみにここの敷地内に、天璋院篤姫の像がございます~。鹿児島の人なんですよね。
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大河ドラマ篤姫で使われた衣装や小道具も展示されたりして、ちょっと面白かった (見てないけどw)。
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鹿児島の歴史資料館は、大人1人300円デス。
(1日乗車券をもってると、230円になります)

ここはお写真は撮れなかったのでないのですが、縄文時代あたりに出土した土器から、近代あたりの歴史まで結構いろんな資料がそろっていて、なかなか楽しめました。

涼めたし・・・・(ヲイ)。

そして黎明館を北側に出たところに、薩摩義士の碑があります。
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最初、戦争で亡くなった薩摩の人なのかと思ったら、全然違いました・・・・
この碑の近くにボランティアガイドの方がいらっしゃって、いろいろ説明していただいたのデスよ。

おかげで色々知ることができました。
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時をさかのぼること、江戸時代。
外様大名だった島津重年さん。

参勤交代を終えてようやく自分の家に帰り、ほっとしたのもつかの間・・・・

濃尾地方の川が洪水で大変だからさ、直してよ」

と、幕府からの指令を受けたのデス。

それも、12月25日のクリスマスに。
(江戸時代に関係ないけどwww)

でたっ、幕府の外様大名イジメ。
参勤交代終わったばっかりで、ヘロヘロなのに! (体力的にも財政的にも)

ってことで、ちょっと「一戦交えるか?」 的な好戦ムードも出たようですが、当時の家老平田靱負が、

「まぁまぁ、どうせ時間とお金を使うなら、困っている人を助けた方がいいじゃありませんか」

と進言したので、争うよりも治水工事に従事することを選択したわけでございます。確かに、川の洪水で困っている人たちがいたわけなのですよね。なんと大人な対応。

ということで、木曽川、長良川、揖斐川の3河川の治水事業にあたったわけです。
でも、そこは外様大名いじめなわけなので、薩摩の人たちには満足な食事も与えられず、本当に悲惨な現場だったのだそう。くそー、幕府め!!!

島津重年も治水工事現場にいたらしいのですが、彼の長男が10歳の時に、父の姿を見るためにその治水工事現場を訪れたのだそう。父の苦労と、過酷な労働現場を目の当たりにしてしまったんですよね (赤痢とかも発生してたんですって・・・・)。

そして治水工事と言えば、完成はしたものの、約90名の死者をだし、約40万両 (現在のお金で数百億とか) ものお金を費やしてしまいました。

その責任を取って、言い出しっぺの家老平田靱負が自害。
そして心労がたたって島津重年も、27歳という若さでこの世を去ってしまいます。

そして、家督を継ぐことになった10歳の長男、重豪。
重豪は、あのようなつらい出来事 (治水工事) を二度と起こさないためには、力をつけ幕府にやり込められないようにするしかないと考えます。藩政改革を行い、蘭学を学び、学問や研究の場をいろいろ増やしたりするんですよね。

そして、彼の孫である島津斉彬に、たくさんの教えを残すんです。
さらにその島津斉彬に受け影響を受けたのが、西郷隆盛だったり大久保利通だったりするのだそう。

こうして考えると、あの治水工事を薩摩藩が請け負わなければ・・・・・
重豪が幼少時に治水工事を見に行っていなければ・・・

もしかしたら、何か歴史が変わっていたかもしれない。
点と点がつながって、線になって、それが歴史になるって面白いですよね。

こんなお話を聞けて、すごいよかったなぁーって思いました。
話は戻りますが、先ほどの写真。。。↓
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これは、この治水工事にあたった薩摩義士をまつる碑なのです。

そしてこの碑のてっぺん、一つ頭が出たところに祭られているのが、家老の平田靱負。
ちなみに、この治水工事をしたところは再び工事が行われ (江戸時代の技術ではもうどうにもならなかったそうです)、ごくごく一部を除いて今はすべて作り変えられてしまっているのだそうです。

こうやって歴史を感じれる旅って、大好き。
楽しいです。

ってことで、今回の日記はここまで~☆


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