少し前の日記の続きですが、池上本門寺を出た後東京池上線の洗足池で降りてみました。
名前だけは知っていた洗足池。勝手に井の頭公園の池みたいなのを思い浮かべてたら、それよりは小さな感じでした。
餌やらないでねって張り紙してあるけどね・・・・・
水辺ってなんてこんなに癒されるのかしら。ついさっきまでは、「寺の近くに住みたい」とか言ってたくせに、今は「水辺の近くに住みたい」とか思ってます。
あ、寺と池があるところに住めばいいのか。神社でもいいけど。
なんかいいよ、洗足池! 時期的なものか、時間的なものかは不明だけど、人もあまりいないし。井の頭公園はたまに地獄絵図のような人ごみになるしね・・・
ここは千束八幡神社という神社だそうです。
その昔源頼朝がこの地を訪れた時に、池に映る月のような馬が現れ、頼朝がその馬を捕まえたという言い伝えが残る場所。名馬「池月」です。
馬に乗らないでねと注意書きがありましたが、実際見てみると乗りたくなる大きさww
再び池のほとりをぐるーっとお散歩です。
キンピカの鯉。地味な色のが多かったから、きれい~。
そう、ここ洗足池にはかつて勝海舟が住んでおりました。そして、勝海舟と敵ではありましたが親交のあった西郷隆盛が西南戦争でその命を落としたと聞いて、自費で建てた碑があるのです。
(もともとは別のところにあったのが、洗足池に移築されたようです)
かつてここに住んでいた勝海舟。池上本門寺に陣を構えていた西郷隆盛のもとへ、江戸への攻撃中止と無血開城の話し合いをするために向かった勝海舟さん。途中にあった洗足池で休憩をしたのだとか。その時にこの地が気に入ってしまい、晩年家を建てて過ごしたのだそうです。
勝海舟もこの景色を見ていたのだなぁ・・・・
そして勝海舟夫妻の墓から少し駅寄りのところにあるのが、御松庵 妙福寺。
その昔、日蓮さんが池上本門寺を目指しているときに、ここでやはり休息を取ったのだそうです。
そしてその時に、日蓮さんが袈裟を外して手足を池の水で洗ったのだそう。
その時に袈裟をかけたといわれる松の木が、今でも残っていました。
袈裟がけの松です。
歌川広重も、名所江戸百景で「千束の池袈裟懸松」を描いていました。
そうそう、ここはもともと「千束」という地名だったそうなのですが、日蓮さんが手足を洗ったことから、「洗足」となったと言われているそうです。
ここで日蓮さんが手足を洗い、広重が絵を書き、勝海舟が晩年を過ごしたのか・・・
なんかすごいところだなぁー。
ちなみに広重が書いた東海道五十三次は、アメリカのパサデナで見てきました。
あれはすごかったなぁ。その時の日記はこちらです☆
帰国後、広重のお墓にも行っています。その時の日記はこちら☆
洗足池、そんなに大きくないのに見どころ満載でおススメです。