彦五郎さんの資料館のあとは、彦五郎さんの住まいだった日野宿本陣です!!!
彦五郎さん資料館のすぐ裏手にありますよ。
日野は、甲州街道の宿場町だったところ。 そして日野宿本陣は、都内で唯一現存する本陣なんだそうです。甲州街道で残っている本陣は、全部で3か所あるそうです。東海道や中山道などでは残っていないのが殆どらしく、貴重な建築物ですね。
中に入ると、ガイドの方が広間でちょうど案内を始めたばかりだったようなので、参加して一緒にお話を伺いました。結構人がいましたよ!
室内は、展示物以外は写真撮影可能です。
日野宿本陣は、前の日記で登場した佐藤彦五郎さんのご自宅も兼ねていました。
今でいうところの町役場、偉い方々が道中宿泊する高級宿泊施設、そして役場を管理する町長のような立場の彦五郎さん一家が住んでいる住居と、3つの機能が備わった場所。
ここに入ってきて、奥の方が偉い方々のお部屋。そして手前の部屋は、お付きの人たちが滞在する部屋、そして背中側 (写真には写っていない) が、役場のような場所だったそうです (最初に話を聞いた広間)。
ちなみにこのお部屋に、土方歳三がよくやってきてはゴロンと寝転がって昼寝をしていたんだそうですよ!すげー。いっぱい息を吸っておきましたwww
歳三もこの景色をみてたんだろうなぁー・・・・。
あ、歳三のお姉さんは彦五郎さんにお嫁入りしたんです。だから親戚関係。実家よりも、母親代わりでもあったお姉さんの家 (= 彦五郎さんの家である日野宿本陣) に入り浸っていたようです。居心地がよかったんだねぇ~。
今の本陣の門は、甲州街道から少し奥まったところにあるのですが、以前は道路ギリギリのところに門があったんですって。そしてその門には左右に長屋と呼ばれる部屋がついていて (長屋門)、そこが天然理心流の道場だったのだそうです。
そう、そこで近藤勇や土方歳三、沖田総司などの新撰組の面々が稽古に励んでいたんです。はぁ、すごい・・・
凄いと言えば、偉い人が滞在すると先ほど記述したお部屋。下記写真の左側の部屋です。
この部屋も、新撰組にかかわりのあるお部屋。
前の日記でもちょっと触れましたが、最終的に函館まで行った新撰組 (函館戦争)。そこで負けを悟った土方歳三が、まだ若かった市村鉄之助に、自分の写真と手紙などを日野の彦五郎さんに届けるように言いつけます。はじめは拒んだ鉄之助ですが、最終的に歳三の命に従って、2か月かけて日野の佐藤家までやってきました。
ぼろっぼろの恰好で佐藤家の周りをうろうろしていた鉄之助を佐藤家の人間が見つけ、声をかけたところ、「彦五郎さんに会いたい」というので家に上げたそうです。
そこで鉄之助が腹巻の中から出したのが、歳三の写真と「歳三の使いの鉄之助をよろしく」と書かれた歳三の手紙。これにより鉄之助の身分が確かなものとなり、この部屋に2か月匿われたのだそうです (今出ていくと、反政府軍ということで捕まってしまうので)。
鉄之助が2か月も滞在していた部屋・・・彦五郎さんって、なんて懐の深い人なのか。
この居間の天井。この天井は、大石鍬次郎というのちに新撰組に入る剣豪が作ったものなんだそう。大石さん、元は一橋家という由緒ある家 (御三卿) の近習番衆の家に生まれた人。でも女性問題ですったもんだがあり、家を追い出されちゃったんですって(笑)。
で、武士から大工に身分を落として大工仕事をしてたそうなんですよ。でもって、たまたまこの日野宿本陣の工事に携わることになったらしいのです。その時この天井を作ったんですって。
でも道場では、近藤や土方が剣術の稽古に励んでいるわけで、それを見てたら羨ましくなっちゃって、仕事をさぼっては道場で一緒に稽古してたんだそう(だめじゃんw)。
最終的には、「そんなに強くなったんなら、新撰組に入っても大丈夫だ」ということで、新撰組に入ったんですねぇ。暗殺を主に担当していたそうで、「人斬り鍬次郎」と呼ばれていました。油小路事件は、この鍬次郎が仕切ったんだそうです。油小路事件では、藤堂平助も死んじゃってめっちゃ悲しかった・・・(涙)。
ちなみに、道場はこの広間より少し大きいくらいだったそう。結構狭いところでみんな剣術を習っていたんですねぇ。
ということで、日野宿本陣の見学終了。大満足~。
ここは大人1人200円で見ることができますよ。めっちゃおすすめです!